魚の棚商店街

魚の棚商店街について

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明石の台所 の棚商店街

うおのたな」それとも「うおんたな」?
魚の棚“名前の由来

もとはといえば、鎌倉時代、いろんな食料品を販売した市で、魚商人が店をだしたなごりが魚の棚。

その由来は、大きな板を斜めにして、ずらりと並べた魚に水を流して鮮度を保つ、
その陳列の様子からだといわれています。

今では明石の代名詞のような“魚の棚”ですが、実は、江戸時代沿岸ぞいの城下町では、
どこにもたいてい“魚の棚”という通称を持つ町があったそうです。

明石の台所 魚の棚商店街

魚の棚商店街の歴史

全国的に知られる「おさかなの町・明石」を代表する明石駅前の「魚の棚商店街」。明石城築城と前後して営業を始めてから、ざっと380余年、地元はもちろん、周辺からの買い物でにぎわうが、その”商圏”は今も東北播地域や京阪神地方にも広がり古い歴史と伝説を誇ります。

現在の魚の棚は、初代明石城主「小笠原忠真(忠政)」が信濃(長野県)松本城から明石十万石へ移封されたのは、元和三年(1617年)。翌四年から明石城築城に取りかかるが、このとき城下町を線引き(都市計画)したのが剣豪宮本武蔵だと伝えられています。

当時、既にほぼ現在のような魚の棚一帯の町並みが完成、享保年間(1716-35)の絵地図には、東魚町、西魚町、乾物屋丁・・・といった町名が並んでいました。 また元文年間(1736-1741)のころになると、東・西魚町で生け魚などの”生もの”を扱う魚屋が56軒、干物を売る干鰯(ほしか)塩干物店が50軒もあり、現在とは比較にならないほど多かった。 両魚町とも魚介類の仕入れは、近くの明石港や林崎、大蔵谷などの浜から船揚げされるタイ・タコ・イワシ・ハモなどが中心。当時の記録でも季節の魚が豊富に揃っていた、としるされていました。 魚の棚の名称は、奥までずらりと魚を並べた”陳列の様子”から呼ばれるようになったもので、魚商人が毎日店を出し、販売した”商座”の名残でもある。

魚の棚は開店当時、今のように間口が広くなく約半分以下でした。間口が狭く、奥行きの深い平屋の商店が並んでいました。さいわい明石は昔から陸海上交通が栄え、魚の町繁栄に一役買いました。西国街道をへて、全国各地へ運ばれ、海路江戸へと明石の珍味が送られました。

昔は、生きた魚は荷車で東魚町へ、干し物、練り物製品は、西魚町へと運ばれ、一家総出の忙しさでしたが、西魚町は昭和初期頃から、だんだんすたれ、主力は鮮魚と練り物製品を扱う東魚町に移り、今の魚の棚の前身となりました。その東魚町も昭和47年の住居表示で「本町」と名前が変わり、懐かしい旧町名は姿を消しました。

が行き交う街 明石の観光

明石公園(明石城)

明石公園(明石城)

「さくらの名所100選の地」にも選ばれた美しい景色が楽しめます。芝生広場やスポーツ施設などもあり家族そろって楽しめます。

明石市立天文科学館

明石市立天文科学館

2010年にリニューアルした東経135度子午線上に建つ”時と宇宙の博物館”。展望室から明石海峡大橋や明石の街が一望できます。

明石市立文化博物館

明石市立文化博物館

明石の歴史と文化に振れられるスポット。なかでも、約200万年前のアカシゾウの骨格模型は圧巻です。

大蔵海岸公園

大蔵海岸公園

明石海峡大橋を望む海浜公園。夏は海水浴場、春・秋はバーベキューサイトも。潮風が心地よく、浜辺でのんびりお過ごしください。

明石海峡大橋

明石海峡大橋

明石海峡に架かる世界最長の吊橋。海岸からの眺めは、もちろんのこと、船から見上げるスケールの大きさを堪能ください。

魚の棚商店街

魚の棚商店街

「うおんたな」の愛称で親しまれている明石の台所です。

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